2009年04月27日

俳諧物語・鷹子の山辺の道―第十帖「竹の秋」

 我らが山辺の道には、結構竹やぶが多い。その竹やぶが、このシーズンになると「竹の秋」現象で、道行く人の目を、楽しませてくれる。「竹の秋 春でも秋とはこれ如何に」。竹は常緑植物であるくせに紅葉し、しかもその紅葉期が春のこの時期なのである。もちろん通常の落葉樹のように、すべての葉が落ちてしまって、葉が無くなることはないが、落葉しつつある葉の付け根から、すぐに新しい葉を用意しながら、毎年葉を付け替えているらしい。









 偉そうなことを言っているが、このことを知ったのはつい2,3年前のことで、松山に戻ってからのことである。1年前に引っ越してきたこのマンションの東側の窓は、竹林で埋まっている。竹林の様子を部屋から毎日のように眺め、散歩に出ればこのように至るところに竹がある。この時期、山辺の道のあたり一面が、燃えるような青葉に輝いているのに、偏屈者のごとくに茶色く、すねているのを不思議に思った。

 それにしても竹という植物は奇妙な植物である。生まれた時から背丈ばっかり伸びて、メタボのおばさんが羨ましがるほど、大きくなっても幹の太さが変わらない。大体その構造からして、普通じゃない。どういう理由か知らないが、おなかの中に大きな空洞を作って、その空洞を一定の間隔で仕切っている。こんな不思議な格好をしている植物は他に見当たらない。
 しかも、聞くところによると、花まで咲かすらしい。発芽してから長い年月、地下茎によって繁殖を続け、ある一定の時期に達すると、花を咲かせ、種子を実らせて一生を終えるという。竹はイネ科の仲間らしいが、通常イネ科植物は毎年春に発芽し夏頃に花が咲き、秋に実をつけて一生を終えるが、竹に限って花を咲かせるまでの期間が大変長く、その花を目にすることは非常に珍しいとのことだ。よくは知らないが、「竹の七不思議」と言う言葉まであって、このほかにも個性的な特性を持っているらしい。

 古代の人達にとっても、こんな神秘的な植物であったからこそ、その体内に月のお姫様を宿してみたりしたのかもしれない。「竹取物語」だけではなく、日本の昔話には、竹中の精霊は人間界に留まれないものが多いという。七夕の竹を畑に立てての虫除けにしたり、耳の病に特別な竹をあてる等の風習もあったらしい。また聖人の杖が根付いたり、呪言とともに逆さにした竹が成長したという伝説もあるという。

 しかし、考えてみれば、竹が奇妙だ不思議だというよりも、人間を含めてこの地球上に住むあらゆる生き物が、不思議であり奇跡であるということではあるまいか。つまり、地球という星そのものが奇跡のうえに存在しているということではあるまいか。竹取物語の主人公は、幸いにも帰る場所があった。しかし、我々人間どもには、いや、この星に住むすべての生き物には、この星がすべてである。このかけがえのない星を、どんなことがあっても、人間どものエゴが作り出した原爆や二酸化炭素の犠牲にしてはなるまい。
  

Posted by オイボレブローガー at 09:44Comments(0)TrackBack(0)

2009年04月22日

俳諧物語・興居島-第五帖「島四国」

 このところ連日の晴天に恵まれて、気温は25度前後と夏日が続いていたが、あいにく今日は朝から曇り空である。しかし、歩き遍路にとっては、かえってこの方が楽かも知れない。高浜港を10時40分に出発した「あいらんど号」は、平日とはいえさすがにいつもより多くの乗船客を乗せていて、中には白い装束で身を包んだ本格的なお遍路さんの姿もちらほら見える。いつものように、穏やかな海をすべるようにして、由良の港に着いた。仲間のひとりが一便遅れるというので、港で待っているメンバーと一先ず別れて先に、1番札所のある「観音寺」に向かった。
 




 「観音寺」は由良の港から歩いても、3分とかからないが、山すそに開かれたお寺だけあって、参道の階段は結構厳しい。あちこちに先客の姿もあり、上の方からの人声もあって、いつもの静けさに包まれた雰囲気ではない。石段を登りきろうとしたときに目に飛び込んで来たのは、境内に咲き誇る牡丹である。3週間前に由良の港に着く前に、船上から見たこのお寺は、桜の花で埋め尽くされていたが、その桜はもうこれらの牡丹に主役をゆずって、若葉をもって傘の役をしている。
        観音寺まずは牡丹のお接待









 いきなり驚きの歓迎に、面食らった感じで山門を潜ると、境内はすでに先客でかなりにぎわっている。狭い境内に張られたテントでは、島の人々の心のこもったお接待が行われている。おにぎり、旬の筍の煮物、えんどうの煮付け、甘酒まで用意されている。せっかくのお接待とばかりに、勧められるままに、すべてを一通り頂いくと、おなかが一杯になってしまった。船に乗る前に買った弁当は、手付かづでリュックの中に残っている。





 一段落したところで、まだ1番札所「霊山寺」にお参りしていないことに気付いて、慌てて境内にある「霊山寺」と書かれた小さな祠の前で手を合わせた後、境内の脇に座り込んで、後から来るメンバーを待っていた。するとお接待をされていた一人の年配の方から、「どちらから来られましたか?」と声を掛けられた。二言三言言葉を交わしているうちに、段々と話が深くなっていって、お接待を他の人に任せ、その方も側に座り込まれた。聞けばAさんとおっしゃるその方は、何とこの島の町内会長さんである。この時とばかりに、勢い込んで我が興居島愛好会の活動を吹聴しかけたら、「知っていますよ」と言われた。ずいぶん前に、我が会の事務局長のOさんから詳しい話を聞かれているようだ。しかもAさんの息子さんも我が会のメンバーだそうである。
 この島に生まれ育って、この島から松山市内に通勤して、退職後この島へのご恩返しのためにと、現在の世話役を引き受けられた。言葉の端々にこの島への深い愛着が感じられる。こうした島の人たちの想いと、松山近郊に住む団塊の世代に、この宝の島をもっともっと知ってもらって、島の活性化に繋がればという我々の想いとが一体化して、一日も早く大きな動きになることを願わずにはいられなかった。
  

Posted by オイボレブローガー at 08:06Comments(0)TrackBack(0)

2009年04月19日

「時計」

    私は不思議に思う
    悲しい時、くるしい時、時間は長い
    楽しい時、うれしい時、時間は短い
    どうして時間はとまらないのかな
    タイムマシンがあれば楽しいと思う
    赤ちゃんの時や未来へ行ってみたり
    いろんなことをしてみたい
    今私がすることはあしたに向かって歩くこと

 4月18日の天声人語によると、この詩は15年前に朝日新聞の群馬版に載った、当時10歳の少女の手によるものだそうである。天下の朝日新聞に2度も取り上げられるだけのことはあって、なかなか含蓄があって、とても10歳の子供の作品とは思えない。というか、仏教の教えの本質に迫る高邁な思想すら、髣髴とさせるのである。
最初の4行は、幼い心が初めてこの世のはかなさや無常を感じ取った、その思いを素直に端的に表現したものである。そして続く3行では、その無常さを乗り越えるための手段として、幼い心はタイムマシンを持ち出すしかなかった。ここまでなら、少々感受性の強い子供の想いといって、見過ごしてしまうかもしてない。しかし、彼女の場合ここに至って、自分の心に湧き上がってくる様々な欲求が、本当の生き方からして、余りにも空しいことであることに気付くのである。その空しい絵空事を追い求めて生きていくことの無意味さを、誰から指摘されるでもなく、幼い心は自らの力で感じ取ったのである。そして、今自分のなすべきことは、今を精一杯生きることだと悟り、今までの夢見心地の心境を、決然として捨て去るのである。

 この作品を取り上げた天声人語には、「悔いも憂いも加齢とともに増すけれど、お構いもなく歳月は飛んでいく。365日が短くなるのは、何をするにも「時の残量」がよぎるせいか。夢のない話で恐縮だが、タイムマシンに乗るなら、行き先はともかく足腰が立つうちにと思う」という解説がついていた。この少女の崇高さに比べて、何と浅ましい話であろうかと、人様を揶揄しながら、いざ自分を振り返ってみると、やっぱり明日も、性懲りなく空しい絵空事を追い求めているに違いないと思う。

 それにしてもこの作者、前世において相当な修行を積んで、生まれ変わってきたに違いない。今は25歳、一度会ってみたいものである。
  

Posted by オイボレブローガー at 22:27Comments(0)TrackBack(0)

2009年04月18日

「堂々たる政治」

 「安心社会実現会議は、麻生さんのために作ったのではない。麻生さんが人気を取ろうとか、自民党の支持率を何とかしようと言うような邪心を持ってやっていない。国民のために作った会議だ。」4月16日の産経新聞の記事の冒頭にある与謝野薫財務・金融・経済財政担当相の発言である。この政治家はマスコミや国民に諂った軽薄な輩ばかりが目立つ現在の政界にあって、きちんとした座標軸をもった数少ない政治家の一人という印象がある。
 「国民の中に、この国は一体何処に行くのか、将来像は一体何なのか、何を目指して努力すべきか、こういう方向感覚が失われ、何か居心地の悪い社会になってしまった。国の幹の部分をまともに議論しなければいけない、という発想で始めた。」その言動には、まさに彼の著書にある「堂々たる政治」を信念としていることが伺える。

 彼は、言わずと知れた歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫である。夫妻の次男である父が外交官をしていたことから、小さい頃から海外での生活を経験して、日本人であることを強く意識するようになり、自国の文化・経済を一流にしたいという想いが生まれたという。そうした思いを起点にして、落第生からうって変わって勉強に打ち込むようになったらしい。東大法学部卒業後、一時サラリーマンをしていたが、中曽根康弘の秘書を経て、1976年に初当選を果たした。しかし、1979年当時の政権が打ち出した一般消費税による逆風を受け落選する。
 冒頭の記事は、「消費税の引き上げ」を次の衆議院の公約にすべきだとする、彼へのインタビューの際の発言である。30年前になめた苦杯なんぞ、堂々たる政治にあってはものともしない。

 村上ファンドから献金を受けていたり、福島県知事の汚職事件に関連していた大手ゼネコンの会長との関係が指摘されたりしたが、与謝野の真骨頂は、「何かあったら返さなくてはいけないというのは、その人に失礼だ」として、受けた献金を返還しなかったところである。
 記事の最後に、西松建設の献金事件で進退を問われている民主党の小沢代表について、「しょせんは民主党の問題なので、あまり関心がない。小沢さんは円熟した政治家だ。今のままで行くのかどうか、まさに総合的な判断をされるだろう。」と語っている。この「円熟した政治家」という言葉に、どういう意味を含ませているのか知らない。しかし、多様な価値観が渦巻く政治の世界にあって、その多様性を受け入れながらも、自らのゆるぎない信念を通していく、まさに円熟した政治家の発言である。どうせなら、こういう人に政治を任せたいと思うの人が、もっともっと居てもいいのにと思う。
  

Posted by オイボレブローガー at 21:59Comments(1)TrackBack(0)

2009年04月15日

俳諧物語・鷹子の山辺の道―第九帖「空也谷から山田池」

 我らが山辺の道には、四国八十八箇所霊場を巡る遍路道も含まれている。49番札所「浄土寺」から50番札所「繁多寺」へ抜ける山道である。浄土寺を出発して、左手奥にある墓地の中を100mばかり登りきると、左手の「日王山」、右手の「牛峰山」に挟まれた小道に通じる。千年以上前に「踊念仏」で知られた「空也上人」が庵を結んだと言われる「空也谷」である。ついこの間まで、道の両側に咲いた桜が、人影のない山道をにぎやかに飾っていたが、今は道路に落ちた花びらがそのときの艶やかさをわずかに残している。桜にかわって今は、冬の眠りから覚めた草木が、いっせいに芽吹き始めて、鶯の鳴き声とともに、静かな山道を活気あふれる空気で満たしている。





 この坂道を100mばかり下ったところに、よほど注意をしていないと気がつかない程の小さな脇道がある。この脇道に入ってすぐに、忽然として視界が開けて大きな池が姿を現す。「山田池」と呼ばれている。写真の左下に見える小道が、「繁多寺」に続く遍路道である。この池の左半分を囲っているこの道、なんとも心細い道ではあるが、四季折々の風情を存分に楽しませてくれる。特に紅葉の季節には、美しく着飾った周りの山々の姿を、静かな池の水面に集めて、散歩をする人々を魅了する。
 




 残念と言うか、勿体無いというか、お遍路さんで、現在この道を歩く人は殆どいない。近くの日尾神社の西側を廻る道が、おそらくどのガイドブックにあっても、メインルートになっているのだろう。車であふれかえった道を、排気ガスを吸いながら歩いておられるのを見ると、降りていってこの道を教えてあげたくなってくる。確実性や安全性を考えると、なんともいえないところではあるが、それにしても残酷な話だ。

 現在、四国4県共同で、「四国八十八箇所霊場と遍路道」を世界遺産にという活動が盛り上がっている。しかし、昨年秋の文化庁の文化審議会文化財分科会では、世界遺産暫定一覧表への記載が見送られてしまった。全長1,400kmに及ぶ壮大な寺院巡礼としての「四国八十八箇所霊場と遍路道」は、古くから一般庶民の間に定着し、遍路の基となる「思想・信仰」を実践する「場」と、「お接待」と呼ばれる地域社会の支援が一体となったものであり、時代とともに変化する地域社会と共存して、千年を超えて継承されてきた「生きた文化資産」であるとする見方に異存はない。これを人類共有の財産として将来の世代へ確実に引き継いでいくこともに賛成である。しかし、この活動を成果あるものにするためには、遍路道そのもののきめ細かな実態調査や、活動の主旨や目標にそったあり方についての検討も忘れてはなるまい。
  

Posted by オイボレブローガー at 18:06Comments(0)TrackBack(0)

2009年04月14日

俳諧物語・鷹子の山辺の道―第八帖「道後平野」

 「己を出しすぎるとしんどい。他に頼ればおぼれかける。仏にすがれば世間から置き去りになる。とかく人の世は住みにくい。住みにくさがこうじると、安い所へ引っ越したくなる。・・・」てなことを、考えながら山を登ること20分。我らが山辺の道には、こんな絶景が待ち受けている。道中に結構きつい上り坂もあって少々の覚悟はいるが、こんな高台も用意されている。





 眼下に広がる平地が道後平野で、写真では判別しにくいが、平野の南よりを瀬戸内海(伊予灘)に向かって重信川が流れている。この川、普段は殆ど水量がないが、一旦降雨が続くと水量を増し、数々の水害を引き起こしてきたようだ。ちなみに、この川の名前は、江戸時代にこの河川の改修にあたった人物の名前(足立重信)に、因んでいると言われている。また、写真の左手川の上流は、現在東温市となったが、合併前は重信町と呼ばれていた。
 遠くに霞んだ山並みが取り囲んでいる地域は、焼き物の里「砥部」である。江戸時代、この地域は山向こうの大洲藩に属しており、砥石の生産が盛んに行われていた。その伊予砥の販売を一手に引き受けていた砥石問屋の主が、今から250年ほど前に大洲藩に砥石の石屑を使って、磁器を生産することを進言したのがきっかけとなって、当時の大洲藩の藩主が、家臣に「磁器」生産を命じたという。現代に言う廃物利用の始まりである。

 既に7時は過ぎていると思われるのに、春の眠りから覚めやらぬような、長閑なたたずまいである。

 62年前にこの地に生を受け、特段住みにくいと感じたわけでもないのに、22歳で飛び出してしまった。その後40年近くずっとあわただしい都会生活を送った後に、こうして舞い戻ってきて、改めてこの穏やかな景色を眺めると、多少悔恨の思いがしないでもない。しかし、それはそれでよかったとも思う。人は皆縁に導かれて、それぞれの人生を生きる。今こうして山辺の道という環境に恵まれて、ブログで自慢たらしく吹聴するほどに、納得の時間を過ごしてはいるものの、執拗にこの地にしがみつこうと思いたくない。まさに「人間到処有青山」である。てなことを考えながら山を下りていると、麓では蕾の藤の花が咲き誇っていた。




  

Posted by オイボレブローガー at 17:49Comments(0)TrackBack(0)

2009年04月12日

俳諧物語・鷹子の山辺の道―第七帖「極楽寺」





 この大木はモミジである。我らが山辺の道の道中には、四国八十八ケ寺49番札所浄土寺のほかに、伊予十三仏霊場6番札所の極楽寺という古刹があって、このモミジはその境内にこのような雄姿で、巡礼者を迎える。山門を挟んで左右両側に一本づつ、おおよそモミジの大きさを逸脱して、あたかも巨大な仁王像のように、この寺を守っている。もちろん、四季折々にその装いを変えるが、今朝は朝日にきらめく若葉が、晴れ渡った春の青空を背景に一段と輝いていて、思わず見惚れてしまった。
 このモミジ余りに大きくて、秋になって色づく時、木の上と下で明らかに色が異なるのである。木の下辺がまだ緑を残しているのに、上の方に向かって次第に紅葉していくという面白い姿を見せる。下の方が赤くなる頃には、木の天辺が禿げ上がっているのである。一本の木にして一山の様相を見せるほどの大きさなのである。
 ところで、モミジに花が咲くのをご存知だろうか?きらめく若葉を眺めているうちに、その薄緑色の葉陰に、赤茶けた色がかすかに見え隠れしているのに気がついて、近づいてよく見るとそれぞれの若葉の下に、何とかすかな花が咲いているではないか。それはよほど目を凝らしてみないと、昨年の枯葉の残骸と見紛うほどに小さな花である。迂闊なことに今の今までモミジの花など見たことはなかった。 これらの無数の花たちの赤茶色が裏方にあって、朝日を受けて煌く若葉の薄緑を一段と引き立てて、得もいえない美しさを作り出しているのである。

 この寺に限らず散歩で神社やお寺の前を通る時は、必ずお参りすることにしている。それは特別な願い事があってのことではなく、しいて言えばこれまで平穏な人生があたえられたことについて感謝し、これからも末永くこの穏やかな時間が続くことを願いつつ、自分にとって悔いの残らない生き方を見つめ直すための儀式かも知れない?チベットのお坊さんが、ある本の中に以下のようなことを書いておられる。
「信仰を特に宗教的な意味で理解する必要はない。世俗的なやり方が好きな人にとって、信仰というのは内なる知恵を育て、自分自身・他人・そして世界一般を深い意味で評価することを意味している。祈りとは、精神的な人格が、エネルギーを無意味なおしゃべりに浪費するのではなく、信仰の表現に回路付けるための方法である。祈りを世俗的に考えるならば、幸せで喜びに満ちた感情を、自分の言葉にすることであるだろう。」
  

Posted by オイボレブローガー at 17:20Comments(1)TrackBack(0)