2008年05月18日
徘徊物語・宇治四帖-「朝霧橋と朝日焼」
「宇治上神社」から「さわらびの道」を南に下ると、「朝霧橋」のたもとに出る。初夏の日差しは一段と輝きを増し、清流宇治川の川面に反射して、きらきらと飛び跳ねている。写生をしているおばさんの近くの石の上に腰を下ろして、朝仕入れてきたおにぎりを取り出す。緑に包まれた対岸の「中の島」をまじかに見て、宇治川のせせらぎを聞き、心地いい香りの薫風に身をまかせ、そのおにぎりを口いっぱいに頬張った。目と耳と鼻と皮膚と口の、すべての五感が同時に忙しく働いて、さっきの「浮舟」の悲しい恋も、晶子の「乱れ髪」も、とっくにどこかに飛んでいってしまった。どんな高級なレストランのどんな豪華な料理より贅沢な昼食でお腹を一杯にして、さて昼寝でもと思ったが、徘徊予備軍を自認する身にとっては、あたりの目が少々気にかかる。
「朝霧橋」から「中の島」方面を望む

ふと振り向くと、直ぐ後ろの木立に身を隠すようにして立っている古風なつくりの家屋が、目に入った。入り口に近づくと「朝日焼」という文字が見える。どうやら焼き物の展示室のようだ。受付の女性に挨拶をして、中に入れてもらった。先客は一人もいない。こじんまりとした展示室には、茶道具類を中心として比較的小ぶりの作品が、整然と並べられている。淡いベージュを基調とした湯飲みや小皿は、得も言えない気品が感じられて、結構自分好みの品々である。さっきの受付の女性が、お茶を持って入ってきて、室内に備えてあるテレビに、説明用のカセットを入れて、「ごゆっくり」と言ってくれた。せっかくのおもてなしに応えて、座り込んでじっくりお勉強することにする。
「朝日焼」展示室

茶の湯の道には、「宇治焼」という名品だけは残っていて、その品々を焼いた釜は、「幻の釜」と呼ばれて、既にこの地から姿を消してしまった焼き物があるらしい。この「宇治焼」と「朝日焼」の関係については未だ明確ではないが、いずれにしても、「宇治茶」の故郷であり、茶の湯の文化が根づいていた土地柄に加えて、朝日山の土ときれいな水にも恵まれて、「朝日焼」は慶長年間(1600年ころ)に誕生したという。以来約400年を経て、現在の松村豊斎さんは、十四代目に当たるそうな。室内に並べられたひとつひとつの焼き物も、長い長い時間をかけてこうした地域の文化や風土や人々とのご縁を積み重ねて、ここに形を成しているということを、改めて思い知らされる。
焼き物の ひとつひとつを 眺めても
思い知るのは さまざまの縁
薫風に 誘い出されて 朝日焼
オソマツデシタ。
「朝霧橋」から「中の島」方面を望む
ふと振り向くと、直ぐ後ろの木立に身を隠すようにして立っている古風なつくりの家屋が、目に入った。入り口に近づくと「朝日焼」という文字が見える。どうやら焼き物の展示室のようだ。受付の女性に挨拶をして、中に入れてもらった。先客は一人もいない。こじんまりとした展示室には、茶道具類を中心として比較的小ぶりの作品が、整然と並べられている。淡いベージュを基調とした湯飲みや小皿は、得も言えない気品が感じられて、結構自分好みの品々である。さっきの受付の女性が、お茶を持って入ってきて、室内に備えてあるテレビに、説明用のカセットを入れて、「ごゆっくり」と言ってくれた。せっかくのおもてなしに応えて、座り込んでじっくりお勉強することにする。
「朝日焼」展示室
茶の湯の道には、「宇治焼」という名品だけは残っていて、その品々を焼いた釜は、「幻の釜」と呼ばれて、既にこの地から姿を消してしまった焼き物があるらしい。この「宇治焼」と「朝日焼」の関係については未だ明確ではないが、いずれにしても、「宇治茶」の故郷であり、茶の湯の文化が根づいていた土地柄に加えて、朝日山の土ときれいな水にも恵まれて、「朝日焼」は慶長年間(1600年ころ)に誕生したという。以来約400年を経て、現在の松村豊斎さんは、十四代目に当たるそうな。室内に並べられたひとつひとつの焼き物も、長い長い時間をかけてこうした地域の文化や風土や人々とのご縁を積み重ねて、ここに形を成しているということを、改めて思い知らされる。
焼き物の ひとつひとつを 眺めても
思い知るのは さまざまの縁
薫風に 誘い出されて 朝日焼
オソマツデシタ。
Posted by オイボレブローガー at 09:15│Comments(0)│TrackBack(0)
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